お泊りはこちら


90年代の中ごろ、中国広東省梅州か梅県のホテルだったと思います。その日は移動の予定が大幅に遅れホテルに到着した時は、午前0時を5〜10分程過ぎていました。2泊の予定でチェックインし、その日は疲れもありすぐに床につきました。翌朝朝食の時、こじんまりはしているが新しく出来たホテルだと知らされました。そう云えばなかなか清潔で、ウェイトレスのお嬢さん達のサービスもいい。昔の国営ホテルに比べると雲泥の差!
予定通り2泊の後、チェックアウトする段になり勘定書きを見て不審に思いました。1泊分の料金しか請求されていません、正直者の私はすぐに「2泊しているんだが、1泊分しか請求されていない。」と自己申告をしました。すると「初日は到着した時間がすでに午前0時を過ぎていたのでその日は含まれません。」との返事!おいおい、そんなのありかよ、と思いましたが有り難く従う事にしました。
何しろ規則なのだからしかたが無い!清潔なホテルでサービスも良く【おまけ】も大満足で、無上の喜びをかみしめながらホテルをあとにしました。


中国山西省でのこと、車での長旅を終えとあるホテルで宿泊しました。田舎の一般的なホテルですが、ご当地では一流。部屋の設備はともかく、私の部屋はそこそこの広さのツィンルーム。多分上等の部屋なのでしょう。シャワーを浴びベットにもぐり込み、半分ウトウトしながら単行本を読んでいました。するとドアがガチャガチャいいはじめ、誰かが鍵を開けているようです。訝りながらも身を起こすと、ドアが開いて見知らぬ青年が入ってくるではありませんか!その青年は私を見るとにこっと微笑み軽く会釈をし、となりのベッドで衣服を脱ぎはじめ、そのままそのベッドにもぐり込んでしまいました!

驚いたの何の、私はすぐに別の部屋に宿泊している中国の友人に連絡し、「見知らぬ青年がとなりのベッドに侵入してきてスヤスヤ寝てる、どうなっているんだ?」と文句を言いました。まもなく友人はフロントで調べ、私に説明するには「今夜は君の為にこの部屋を部屋ごと借りたのだが、係りの者がベッド貸しと勘違いして他の人も入れてしまった。この青年はすぐに別の部屋に移るからゆっくり休んでくれ。」との事。「なんだあ〜、相部屋か?ここは木賃宿か?」とあきれても仕方がありません、かようなシステムなのですから・・・

私達が普段あたり前に思っている事でも、所変わればです。しかし考えてみれば、人口も多く宿泊設備も当時充分でなかったこの国にとっては、開きベッドをつくらないというまことに合理的な考え方だと感じ入りました。


始めて中国を訪問した時のことです。場所は広州でした。ここで交易会を年2回やっていると聞いたのでこれを見学し、また別に紹介を受けていた重慶の公司を訪問する事にしました。日本の友人と二人連れです。私はそれまでに欧州・東南亜細亜を人並み以上に歩き回っていたので、気軽い気持ちで広州に向いましたが、ただ旅行代理店の人が「広州ー重慶の航空券は日本では発券できないので広州で買ってください、日本ー広州の往復航空券だけは発券します。」と言ったのがいつもと少し違うなとは感じていました。

これは後で知ったのですが当時はこのような場合、ちゃんとホテルも確保し交易会の入場券も手に入れ、中国国内航空券も現地の取引先に手配しておいてもらうのが当たり前であったようです。そうしておかないと非常に身動きが取りづらい事となります。又当時は中国も改革開放政策をおそるおそる小出しにしている時期で、解放区も限られており、紙幣も外人専用の兌換紙幣と一般の人民幣とに分かれており、外人は専用のホテルにしか宿泊できず、国内の飛行機や列車のチケットも割高でした。外人料金です!このような知識もまるでなく諸外国と同じだろうと思って気軽く出かけた我々は浅はかでした・・・

広州の空港に着き宿泊案内所に行ってホテルを紹介してもらう事にしました。するとそこの係員は中国大酒店しか空いて無いと言います、値段は当時の金額で二万数千円。ビックリしましたが取り敢えず今夜の寝床を確保しなければなりません、しぶしぶお願いする事にしました。空港ロビーを出ようとするとタクシーはどうだと声を掛けられました、値段を聞くとまあまあだったので頼みました。行ってみて驚きました、軽三輪を改造したような車です、ええいままよとそのまま乗り込みホテルへと向かいました。中国大酒店は出来たばかりのようで、どこへ出しても恥ずかしくない堂々たるリッパなホテルでした。ドアボーイは我々のタクシー(白タクだったのでしょう)を見てビックリしていました。中国大酒店に軽三輪で乗り付ける!客もまれでしょうから。

見本市会場はホテルの前だったので、先ずは見に行こうと言う事になりました。入場しようとすると入場券が要るとのこと、ではどこで販売していると聞くと、某ホテルとの返事です。冗談じゃない、わざわざタクシーでそんな所まで行って入場券を求めねばならないなんて。我々はいささか強引に「明日買ってくるから、今日のところは入れてくれ」とパスポート?を振りかざし入り込んでしまいました。(見逃してくれたあの時の係員さんどうもありがとう!) 入った最初の印象は結構広いが乱雑だなあと思いました、また正午から2時まで昼食のための閉館時間があることも知りました。なんとイタリアの小売店並!ゆっくり昼飯を食えということでしょうか?

中国はなかなか一筋縄では行きそうもありません、ホテルに帰ってから我々は翌日の作戦を立てることにしました。まず航空券を買いに行こう、それから我々にはこのホテルは高すぎるのでホテルを移ろう、そして見本市の入場券を手に入れようと言う事になりました。翌日先ず航空会社に行きました、行くと黒山の人だかりです。これは半日つぶしてしまいそうだと並んでいると、係員が来て別の窓口に案内されました。外人専用のようです、数人しか並んでいません。間も無くキップの手配は出来ましたが、当日の発券にはならず後日取りに行ったような気がします。

つぎはホテルの確保です、タクシーで何件か回ってみてそこのロビーでコーヒーを飲みチェックしようと言う事になりました。(当時中国で飲むコーヒーが不味かったのでしょう。) それで先ず入場券を購入する必要があるので某ホテルから始めました。入場券代はそこそこ高かったと思いましたがそこのホテルは空いていました。2〜3軒回ってみてもどこのホテルも部屋は空いています、空港の旅館案内でのあのやり取りはなんだったんだ!結局見本市で昼休みが2時間もあるのならと、中国大酒店の前、即ち会場の前の東方賓館にしました。一泊300元余だったと思います(当時のレートは1元:45円ほど今は15〜6円)、中国大酒店の半額です。1週間後重慶からの帰り、又立ち寄ると150〜160元で宿泊できました。見本市期間中の割増料金だったのです。

1〜2ヶ月後で、大連に行った時新築のご当地一流ホテル(インターナショナルなホテルです。)の宿泊費は160元でした。そして同じ遼寧省でも少し中に入れば80元、山西省や吉林省まで行けば40元と中に入るほど半額になっていった覚えがあります。勿論広州や大連のホテルと比較にはなりませんが、何れもご当地では一流であり、我々はガイジン料金を支払っているというわけです。

田舎では当然外人専用ホテルなんぞはありませんでしたが、フロアーは決められていたようです。エレベータでそのフロアーにおりるとキーマスターがあり2人ほどお姉さんが常時詰めていました。階下のフロントでなく、ここでキーの受け渡しをするのです。床には赤い絨毯が国会並に敷かれていた所もありました。朝食もガイジンは現地の人と一緒に大食堂で食べる事は許されず、別のこじんまりした食堂にご案内です。そこではハムエッグ、トースト、コーヒーなどの別メニューも用意されており、給仕のお姉さんも何人かいました。ここで一人で食べる時ほど味気ないものありません、片言でも英語を話すお姉さんがいると、何やかやと話し掛けたものです。当時中国は余程のホテルでないとコーヒーは無く、たまに有ってもドロミズ!かならずコーヒーだけは持参していました。今は昔ほどではありませんが、やはり田舎に行く時は持参してしまいます。


2000年代も半ばを過ぎますとチョットした中国の地方都市にも立派なホテルがあります
ここは紹興酒で有名な浙江省紹興市の紹興飯店
昔の趣を留めた素敵なホテルです